今野源八郎家住宅

 

福島県相馬市坪田字上原田 1番地

明治時代   1890年頃

桁行 12間   梁間 6間  2

両あずまや造り     瓦葺き

 

 この住宅は一千年以上の歴史を持つ“野馬追い”で有名な江戸時代の相馬藩の集落にある。 六万石と小藩であったが米の生産地として大変な賑わいを呈したという。明治になって以降は養蚕でも生計を立てるようになった。

 今野家は江戸時代から農業の傍ら上方と絹などの取引を行う豪農であった。屋敷は西北から東南へ下る緩やかな斜面に構えられ一千坪に及ぶ。

 主屋はその中央に南面して建ち、前蔵がある。現存しないが主屋上手に穀倉、板倉があった。白漆喰になまこ壁の立派な前蔵の東には池がありその脇に離れの湯殿が一棟ある。主屋の東に接続して「かまや」「馬屋」がある。

 この住宅は建築年代についての資料は無いが明治中期に建てられたと考えられる。その特徴は外観にある。建物の背が高く煙だしまでの高さは10メートルに達している。屋根は瓦葺、寄棟造りの変形で妻側はかぶと造りの様に切り上げ、大きな破風窓をつける。これらの両脇の窓は軒の線を複雑にし屋根に稜線がいくつもできて変化に富み表情豊かな外観を作り上げていると思われる。

 建物は桁行き12間、梁間6間、平入りで向かって右手に大戸口を開き、戸口を入ると2間3軒の土間である。土間は狭く突き当たり右手は別棟の土間台所の「かまや」に隣接している。土間の上手は座敷になっていて。最初の8畳の部屋(日常の接客間)の上は中二階になっている。この部屋と土間の奥に大きくて天井の高いひろま、「板の間」がある。天井は吹き抜けで曲がり木の梁組を見せ、一部は屋根裏まで吹き抜けになっているので柱や梁の軸組みがよく見えて、左右、上下に大きく広がりを持ち、この家の圧巻となっている。この「板の間」には囲炉裏が切られていて、作り付けの戸棚が角にあり日常生活の場で、もっとも民家らしい風格が感じ取れる。接客間との間仕切りを外せば4間に6間,48畳のひろまとなる。この大空間の右隣に最近改造されたと思われる現代的な台所約10畳がある。

 板の間の上手は座敷になっていて、表側が12畳の「なかのま」、12畳の「つぎのま」、

8畳の「仏間」と連なっている。一方裏側は中二階つきの8畳の「なんど」が二部屋並び、床の間と違い棚、書院のある8畳の「奥座敷」となっている。

この家の縁側は特色があり、南側と北側にそれぞれ三部屋通しの長い縁があるのみならずそれぞれにその真上の中二階にも同じ大きさの縁がある珍しい構造になっている。幅が45寸の長さは7.5軒である。面積にすると合わせて45畳もある。縁側は昔、仕事、社交、儀式にまた日向ぼっこに使われ役に立った。中二階に設けられたこの長い廊下は、南側前面が窓になっていて、大きくて暗かったであろう奥深い部分の部屋を明るくする効果に優れていたと思われる。採光通風を考慮に入れた設計である。北面は北風を考慮して壁面と窓半分ずつである。

 外部は障子付きの雨戸建てになるが(現在サッシュ、)一部格子を構えているので外から直接出入りできないが美しい外観となっている。外壁は板壁であるが一部小さい壁は漆喰塗りとなっている。

 構造は小屋梁りを何段も組み、その上に棟木を載せる、和小屋組である。下屋柱を用いないで上屋の柱を側柱として使っている。 桁を外壁より外に出す「せがい造り」にしてめずらしくも二重垂木にしてあるので、軒先は深い。また立ちの高い立面が軒先の線を高く上げていて、正面のデザインを豪快でバランスの取れた気持ち良いものにしている。

大きな断面をもつ柱と指し鴨居は、欅材で堅固であり、柱の数を減らしすっきりとした間取りになっている。ここに民家平面の発展が良く見られる。土間や板の間などのような農家らしいところと、書院つくりの奥座敷や大きな金蒔絵のある仏壇と仏間に上層民家にふさわしい上品な細部を兼ね備えた家である。

 この家は古式な架構の実例としてのみでなく、立ちの高さ、深い軒、太い大黒柱、指し鴨居など衣装的な迫力もある貴重な民家である。

 

以上簡単ですが今野家の概略調査報告とします。短期間の調査のため不明な点も多く、更なる調査が必要と思われます。間違っている箇所も在ろうと思いますが御容赦願います。

 

瀧下嘉弘

残そう会 

                          2004年9月